「黒猫座というのはお芝居をやってるんですか?」なんて聞かれてたこともありました。
黒はタンゴカラー、猫のようにしなやかに、というコンセプトで命名されました。
おもに「東京タンゴダンス倶楽部」出身で、レッスン等のプロ活動を行っている社会人舞踏集団。
いずれも仕事を持ちながら鍛錬を続け、イベントの時に集まって作品を創っています。黒猫座主催のショー公演「情熱のタンゴ」シリーズを続けていましたが、座長の死去によりシリーズ公演は休止中。
各地での指導と、年数回のパーティ開催は継続中。スポンサーや所属組織は無く、完全なインディーズ系です。運営は大変ですが、やりたい事をやりたい様にやっています。
露出度の低い独自路線を行く集団ですが、確かな実力による親切・丁寧な指導とダンスを、約20年間続けています。
ではその母体となっている「東京タンゴダンス倶楽部」とは?
平成6年、気の合うタンゴダンスダンス仲間が集まり、練習場を借りるためにサークルとして誕生しました。その後レッスン依頼が相次いだため、タンゴダンスの教場となりました。現在は主に都内でレッスンを続けています。
各カルチャースクールでの教室もでき、各地でレッスンを行っています。
各スクールへ入会していただくと、その時点で東京タンゴダンス倶楽部のメンバーとなり、分け隔てないレッスンと、パーティや懇親会でスクール同士の交流もしています。
『タンゴ界のクラーク・ゲーブル』(日本テレビ「ザ・ワイド」)『日本でいちばん赤いバラの似合う男』(雑誌「DIME」)等日本人ばなれした芸風は玄人筋から高く評価されている。
本場、アルゼンチンの大御所カルロス・リバローラは井上をEL LEI DEL COMPADRITO(タンゴ界の顔役の中の顔役)と呼び、再会する度にリバローラは"COMPADRITO(顔役)" 、井上は "MAESTRO(先生)"と呼び合う仲である。
日本だけでなくアルゼンチン、ウルグアイ、コロンビア、メキシコ等のテレビで紹介されている。
若い頃から熱狂的なタンゴファンだった井上てつひこが、50歳を超えて初めてダンスをに目覚め、驚異的な猛特訓により自らを鍛え、仲間を募って設立したタンゴ舞踊団です。
盆踊りすら無縁だった不器用な人でしたが、涙ぐましいほどの努力とタンゴへの熱愛が功を奏し「これぞタンゴ!!!」と認められる踊り手になりました。
スタートが遅かったこともありますが、納得のいくものしかやらない・利益最優先の活動はしないなどいろいろこだわりのある人で、 だんだんと知る人ぞ知る舞踊団になっていきました。決して派手な活動はありませんが、その中身の濃さは自他共に認めるものであります。黒猫座は、こんな井上てつひこによる由緒正しいタンゴ集団なのです。
残念ながら、井上てつひこは2006年5月30日に67歳の若さで急逝してしまいました。
「井上てつひこならではの黒猫座」的要素が色濃かったためこのままま黒猫座を存続させるべきか考えましたが、本当のタンゴファン、本当のタンゴダンスファンと集いたい、増やしたい、と井上てつひこは考えたことでしょう。
タンゴに関わる人たちの考え方や、環境が目まぐるしく変化する中、試行錯誤を続けながら地道にやってきました。
先のことは分かりませんが、求められるうちは何とか頑張っていこうと思います。